たとえばtikitとiPhoneによる偶然と必然 その2

いつからだろう、たしかデビューアルバム「魔都」やセカンドアルバム「ギャングバスターズ」を出した80年代のはじめごろから頭に宿ったアーティストイメージはまるでパラノイアのように増幅していった。ひとつは探偵とか、スパイとかギャングとか、それもタフガイではなく、ドジで間抜けで時として街角で酔いどれているアンチヒーローなダメ男、もうひとつはアメリカンコミックからの影響だろう、スーパーマン、バッドマン、スパイダーマン、ディック・トレイシーといったスーパーヒローのイメージ。

あの頃の僕のアルバムジャケットやアーティスト写真や曲の発想も「ピストル男」「SPYに夢中」「どっちがカモ」といった感じでスパイや探偵気取りのオンパレードの感がある。実生活も同じようにメガロポリスで、トラブルもものともせずにタフに暗躍する探偵やスパイのようにかっこよくいかないものかと試行錯誤していくと、その頃読んだ哲人ニーチェの超人思想などとだぶってなぜか不思議に元気がでてくるのだった。

デビューアルバムのプロモーションパンフレット(1981 イラスト松尾多一郎)

ディック・トレイシーがコミックの中で使っていた、腕時計型の携帯無線もどきの電話番号メモリー付のカシオのDATABANKなんてごっつい時計を使って悦にいっていたのもこの頃である。しばらくたつと探偵気取りもいたについてきたのだろう、こんな電話がかかってきたりした。
「エスケンさんは探偵でもあるんですよね。ちょっと込み入った問題があるんですが相談のってもらえますか?」
まさか、本当に探偵の依頼がくるとは驚きだが、思い込みとは恐ろしいもので、いつしかそんなハードボイルドタッチの芸風が僕のトレードマークになってしまった。

80年代後半にだした「ジャングルダ」という曲がある。

奴はパープーほとんど一匹狼
テクノ仕掛けのピストル片手に
操るジャパニーズマネー
10年早いぜ一発勝負は

という相変わらずの芸風なのだが、この曲が入ってる「パープービー」というアルバムは一曲目の「32階の窓から」から最後の「よろめきながら地下鉄へ」まで、同時期に押し寄せてきたSFの新しい潮流サイバーパンクの影響を受けたものだった。
機能や意識を拡張する人体改造的な概念や、サイバースペースといわれるネットワーク空間が出現する近未来をベースにパンクでハードボイルドな相変わらずの芸風をブレンドした作品になった。
サイバーパンクの代表作、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」が予言したごとく、あれから25年、世界は地球の隅々にまでに張り巡られあたサイバースペース(電脳空間)上に再構築されたといっていい。政治、経済、社会、文化などがすべてがこのネットワーク上で良くも悪くも大変革をとげてきた。「ニューロマンサー」ではサイバースペースに意識ごとダイブするという発想が出てくる。ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」という映画もその発想の延長で、反乱を起こしたネットワーク上のコンピューターシステムによって人類は、気付かないうちにニセモノの仮想現実をすっかり現実と思い込まされ、支配されている。
「マトリックス」とはサイバースペースに意識ごと没入(ジャック・イン)することによってひとりひとりが見る幻想を生み出すカラクリである「コンピュータ仕掛けの仮想現実空間」のことで「共感覚幻想」という言葉も同じ意味で使われていた。

でも、僕はサイバーパンクの基本的近未来像にはのめり込んだものの、サイバースペースに意識ごと没入し、本物の身体はPCのある密室に閉じこもって動かないというイメージにどうしても馴染めなかった。
「ニューロマンサー」の主人公、ハッカーのケイスや「マトリックス」の主人公、天才クラッカーのネオはクールでアクティブで実にかっこよく描かれているのだが、現実に90年代から始まったPCの前に座り続けネットワークに意識ごと没入していく動かなくなった人々からは人間が本来もっていた五感が退化した、ひきこもった病的なイメージしか伝わってこなかったからだ。

ところがここ数年、スティーブ・ジョブズが発想したiPhoneから始まったスマートフォンとそのネットワーク上に構築されつつある文化は、今までとは異質の人間とPCの新しいコラボレーションの可能性があるように感じる。

80年代後半、僕が「ジャングルダ」という曲で描いた近未来、“テクノ仕掛けのピストル片手に”
というフレーズは“ネット仕掛けのiPhone片手に”と置き換えてみるとしっくりくる現実がせまってきた。すでにマーケティング世界でもソーシャル、ローカル、モバイルの3つの要素をブレンドしたSoLoMoというキーワードが最も重要なトレンドになっていくという。

僕が小説でフィクションとし創作した“人間のように話す折り畳み自転車”ジャバもtikitとiPhoneをコンビネーションすることにより現実になりつつある。iPhoneは今年、会話をする秘書機能アプリ、Siri(シリ)を搭載した。僕のtikitのハンドルには時々、iPhone4sをつけて行き先をナビゲーションしている。先日も街路を疾走していて強力なライバルが現れて、かっとなってハードに張り合ってひとやすみした僕は、ため息まじりにSiriに話しかけたみた。
「ちょっと疲れたよ」
Siriが答える。
「よく聞いてください、今すぐ少し寝てください。私はここでまっていますから」
まだまだトンチンカンな答えが返ってくることも多いが、バージョンアップされ学習能力がつけば、数年後にはちょっとボケてきた僕のよき相棒になってくれそうだ。

生身の人間が意識をもって視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を研ぎ澄まし動き回りつつ地球規模で繋がったネットワークがそれをサポートし、より進化した意識に到達する時代が幕を開けようとしている。中東に起こったFacebook革命といわれる民主化運動も、マーケティングの世界で騒がれはじめているsolomoもその前兆のような気がする。
これまでの常識では思いもよらない偶然の人と人の出会いや、斬新なアイデアが生まれる可能性に満ちてる。もちろん新しい発想や発明はいつもリスクが存在するように、今回もプライバシー漏えいや類をみない犯罪者など出現し大問題になるだろう。

でも、そんなリスクを把握しつつも、未来に展開する「なりゆき」に潔く身をゆだね、
セレンディピティや計画的偶発性理論が指摘しているように、予期せぬ偶然をチャンスととらえ、その中から何が重要かを選び出し、心ふるえるような発見をする能力をたかめてゆことこそがスーパーコンピュターのスピードが京(けい)を超え、電脳領域に侵されつつある人間にとって一番必要なことのように思える。

僕はなぜか子供の頃から日々の慌ただしさから突然、幻想して
「街角から宇宙も見る」
という説明しがたい感覚に襲われることがあったが、その後、仏典のキーワードの中にもそれに近い感覚の言葉あることを知った。

・等至三昧
宇宙の端のことも今ここで起こっていることも、同じ距離感で感じる、遠い過去のことも今も未来も同じに感じる状態。非常に遠大な時間感覚の中で自分のミッションを実感できる人は、目の前で起きる幸不幸にあまり左右されなくなる。
一念三千
天台宗の教旨で、日常の人の心の中には、全宇宙の一切の事象が備わっているということ。一念のこころに時空を超えた全宇宙の一切の事象

我が究極の瞬速折り畳み自転車tikitに地球規模のネットワークとクラウドに繋がった
iPhoneを取り付けて都市空間を疾走していると、そんな子供の頃の感覚がより実感を
持って蘇ってくる。
だが偶然にも突如として襲ってくるトラブルを必然として笑いとばし、ディックトレーシーのように余裕をもって一瞬一瞬を楽しむにはまだまだ試練や修行がたりないと嘆く今日この頃である。

2012-06-20 | Posted in memoryNo Comments » 

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